取り返しのつかないミスは、ゲームで学んだ。ファイアーエムブレムが教えてくれた命の重さ

1990年4月20日。
任天堂から発売されたある一本のゲームが、私の人生観を変えました。

その名も、【ファイアーエムブレム 暗黒竜と光の剣
ジャンルは、手強いシミュレーション

当時、小学6年生だった私は、
すでに数多くのゲームをプレイしてきた ゲーマー少年 でした。

レベルを上げて物理で殴る。

ピンチになれば回復魔法。

そして、たとえ仲間が倒れても――


あとで生き返るに決まってる。

そんな ゲームのルール が、私の中には当たり前のように染みついていたのです。

しかし、ファイアーエムブレムは違いました。
それは、私の中の常識を一撃で破壊し、
人生とは、選択とは、命とは何か
を突きつけてきたのです。

そう、“勝ってくるぞと勇ましく”出陣した私は、
取り返しのつかない現実の厳しさと、そこで起きる感情の揺らぎを知ることになったのです。

一度きりの人生 その不安は第3章デビルマウンテンあたりから始まった

「ん?前の章でやられたキャラ、もう出てこないの?」

最初はそんな、軽い違和感でした。
仲間が戦闘中に倒れたあと、次の章に入っても再登場しない。
なんとなく不自然だけど、最初は“演出”か何かだろう、そう思っていました。

しかし、それが確信に変わったのが――
第3章・デビルマウンテン。


この章で登場するのが、あの傭兵ナバール。
クールで無口、でも圧倒的に強くて、シーダには弱い「一番のお気に入り」って声が今でも多い人気キャラです。

そしてこのあたりから、戦闘の難易度も少しずつ上がっていく。
こちらの配置ミスや一手の判断ミスで、ユニットが簡単に倒れてしまうようになる。

そう。ここで、“初めてのキャラロスト”を経験する人が圧倒的に多いんです。


「あっ……やられた。でもどうせ次の章で戻ってくるでしょ」

そう思っていたのに、次の章が始まっても、
彼(彼女)は帰ってこない。

あのとき倒れた仲間は、戦場に命を置いてきたまま。
それでも物語は進み、誰も何も言わないまま、次のマップに駒を進めていく。


「えっ、これ……マジなの?」

私は混乱し、説明書を読み返し、友達に電話して聞き、
それでも答えは変わりませんでした。

ああ、それ死んだら終わりだよ

ナバールの登場という高揚の中、
初めて知った“選択と犠牲”の重み
それが、このデビルマウンテンで、
静かに、でも確実に、プレイヤーの心に刻まれたのです。

きっと後で出てくる【蘇生呪文】を信じていた

「あれ?このゲーム、まだ回復魔法出てないよね?」

戦闘中に仲間が倒れても、どこかで安心していた。
だって、RPGには“お約束”があるはずだった。

後半で強い蘇生魔法が出てきて、
 あの仲間も、きっと戻ってくる――。

でも、待っても待っても、その魔法は現れなかった。


私はようやく、理解したのです。

FEに“生き返る”は存在しない。

取り返しのつかない選択。
一度失ったものは、もう戻らない。


だから、リセットするしかなかった。
ステージをやり直し、手順を変え、配置を工夫し――
「死なせないために、ゲームをプレイする」という
全く新しいプレイスタイルが、ここで生まれた。


ある意味、これが「リセマラの起源」だったのかもしれません。

自分の選択と操作の先に、「命の喪失」という結果が待っている。
その現実に、当時の私は震えたのです。


そしてこの体験こそが、
やがて訪れる後継作“聖戦の系譜”で、
とてつもない重みとして、再び私の前に立ちはだかることになるのです。

人生一度きり「死を受け入れるか、やり直すか」

仲間を失ったマップを、進めるか。それとも、リセットするか。

ファイアーエムブレムをプレイした誰もが、
この二択に向き合ったはずです。


あのキャラはもう、戻ってこない。
でも、ストーリーは進められる。
このまま進めば、何事もなかったように物語は続き、エンディングも見られるでしょう。

だけど、本当にそれでいいのか。


「彼がいないまま勝って、本当に意味があるのか」
「最初からやり直すのは面倒だけど、後悔したまま進むのはもっとツラい」

そんな葛藤に、私は何度も何度も立ち止まりました。
選択肢なんて表示されない。
でも“心の中で常に選択を強いられる”のが、このゲームだったんです。


そして、私は気づきました。
これはゲームじゃない。
これは人生のリハーサルだと。


人生は一度きり。
命は戻らない。
やり直しができるのは、今だけ。

そんな思いが、十数年たった今でも、
このゲームを思い出すたびに私の中に蘇ります。


このゲームは、
「どのユニットが強いか」ではなく、
「あなたは何を選び、何を背負うか」を突きつけてくるんです。

まとめ|命に“その後”があるということを、私は知った

ファイアーエムブレムには、エンディングに粋な演出があります。

仲間たち一人ひとりの、“その後の人生”が語られるのです。
故郷に帰って結婚した者、国を興した者、旅に出た者――
それぞれの物語が、画面にそっと表示されていきます。

でも、そこにひとりだけ、
「○○の戦いで倒れる」とだけ書かれ、
名前ごとグレーアウトした仲間がいると、
胸にぽっかりと穴が空きました。


命があれば、物語は続く。
でも命が尽きたら、“その後”は語られない。

それを小学生の私は、
セリフひとつないその演出から、静かに教えられたのです。


たしかに難しくて、
全キャラ生存なんて小学生には無理ゲーでした。
本当に手強かった!!

でもだからこそ、
「命は一度きり」という重さを、
ただのセリフじゃなく“実感”として刻んでくれた
んです。


あの日、コントローラーを握った私は、
ただゲームをしていたわけじゃなかった。

選び、失い、悔いて、受け入れて、進んだ。

ファイアーエムブレムは、
ゲームという形を借りて、
人生の本質を見せてくれた“最初の先生”だったのです。

いやぁ〜!この頃の作品はもうチーチーパッパな物ではなく重たいストーリーなものが沢山ありましたね。

ということで最後までお読み下さいましてありがとうございました。

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